また今日も心優しき若者が消えた。

Unsplash / Pixabay

近年、老害という言葉がよく出てきます。

言葉の意味は

老害:自分が老いたのに気づかず(気をとめず)、まわりの若手の活躍を妨げて生ずる害悪。

すごい言葉の説明ですよね。笑 正式な言葉として存在してるみたいです。

そういう言葉に含まれて、闇に葬ってしまってよいのか分からず、私の身近な友人に起きた出来事を通して、伝えたいことがありました。

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また今日も心優しき若者が消えた。

親切は勇気がいる

今日も満員の電車やバス。

目の前に高齢の方や足の不自由な方、妊婦さんが来たら、席を譲ることができますか。

私は譲ります。

と言いたいわけではありません。

正直に申し上げると、時と場合によります

譲らなきゃなぁ…

寝てるフリしようかなぁ…

断られたらやだなぁ…

他の人が譲ってくれないかぁ…

この迷いが生じた時点で私はすぐに譲る勇気のない意気地なしです。

しかし、私の良き友人達はそんな人ばかりではありません。

ある日、友人が落ち込んだ表情で、私に話しかけてきました。

電車で起きた悲劇

「もう俺は席を譲らない。」

落ち込んでいる表情の中、どこか怒りや悔しさが見える言い方でした。

どうしたの?

席を譲ろうとした人にキレられた。

彼は私の知る限り、心優しいの頂点を極めたような人物です。

6個入りのピノ(森永乳業のアイス)を買ってきては5つを人に配り、残り1つを幸せそうに頬張るといった私には全く信じられないようなことをする人物です。笑

話を聞くと、

とある満員の電車で、優先席でもないのに近く高齢そうに見える方がいらっしゃったので、声をかけて、自らの席を譲ろうとしたそうです。

次の一言が衝撃でした。

私をそんな年老いていると思って。まだまだ若いわよっ!!失礼ねっ!

怒って、その場を去ってしまったようです。

大人気ない

そのあと、その友人はどんな表情をして、その場を過ごしたのでしょうか。

その友人を想う私は怒りがこみ上げてきます。

こうやってまた心優しい人が心の傷を負って、親切心を失っていってしまうのか。

心配でなりません。

私が思うのは単純に

席を譲られたら座ってほしい。

ということです。

その高齢の女性は自分は若いと思っているのにもかかわらず、席を譲られたことでその人から高齢だと評価されたことに腹が立ったのかもしれません。

こういことが起こるから優先は特別設けるべきでないとか、海外に優先席がないのは席を譲るのが当たり前の文化だからだとか、とやかく言いたいのではありません。

単純に老害という言葉に丸め込むつもりもありません。

譲ろうとして、譲る勇気がない私だから分かることがあるのです。

譲ろうとしたその子の勇気を立て、素直に感謝の気持ちを述べることが大人として必要なのではないでしょうか。

さて、私はまたそんな親切心を打ち砕かれた人がいたら、ただ見守るだけでなく、

「あなたがしたことは正しいよ。」

とそっと声をかけてあげられる人になりたいなと思うのでした。

ポメでした。

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