温故知新という言葉が私は大好きです。
過去を学び、未来に活かすという考え方。
どんな世界でも通用しますが、今回は投資の歴史を一つご紹介致します。
Long Term Capital Management
(:ロングタームキャピタルマネジメント)以下:LTCM
かつてウォール街で飛ぶ鳥を落とす勢いで成長していたファンドがありました。
その成功と衰退の一途から多くの教訓を学ぶ事ができます。
LTCMの崩壊に学ぶ
ドリームチーム
LTCMを構成したパートナーたちはドリームチームと呼ばれ、当時の最高峰の頭脳を誇っていました。
率いたのは債券取引の父と呼ばれ、
投資銀行ソロモンブラザーズの元副会長ジョン・メリウェザー。
パートナーには現代金融工学の父と呼ばれ、後にこの分野でノーベル経済学賞を受賞するスタンファード大学教授マイロン・ショールズ、ハーバード大学教授ロバート・マートンの両名、
さらに、元FRB(連邦準備制度理事会)副議長のデビット・マリンズ。
当時、投資銀行ソロモンブラザーズの稼ぎ頭であった債券取引部門がそのままヘッジファンドになった夢のようなチームでした。
運用手法は、オプションや先物取引を利用したいわゆるデリバティブ取引。
運用方針は、安定的・長期的に収益を上げ続けることでした。
時代は個人が立ち上げたヘッジファンドが、大手投資銀行や国家を相手取り大金を運用する時代。
メリウェザーは過去の成功や自信を元に、ヘッジファンドを立ち上げました。
1994年のことです。
資金調達
投資銀行の業界で多大な名声と信用力を誇るメリウェザーとドリームチームは一声で莫大な資金を調達することが可能でした。
当時、新規ファンドの立ち上げの資金額の相場が300万ドル弱の時代。
その時代にメリウェザーが調達目標額は25億ドルを超えました。
ドリームチームの信用力を背景に米大手金融機関メリルリンチからの調達を皮切りに、世界の政府運用機関やドイツ銀行、住友銀行も名を連ねました。
結果として、夢のヘッジファンドLTCMは10億ドルから運用を始めました。
ドリームチームの実績
1997年、オプション取引での莫大な利益が認められ、ショールズとマートンの両教授はノーベル経済学賞を授与。
バブル崩壊後の株価上昇を背景に、運用先に困っていた機関投資家たちは一斉にLTCMへ資金を供給しました。
さらに、持ち資産が膨らみ過ぎていたLTCMは1997年末、ヘッジファンドとしては異例の決断を下します。
それは、投資家へ投資額の払いもどし、です。
「資本金ゼロ・無限の資金効率」を実現することになりました。
余った46億ドルあまりの資産のほとんどは、パートナーと従業員の資産でした。
異例の無借金経営のヘッジファンドとなりました。
実績に影が差す
最強の頭脳とそれに伴う実績。
ではなぜ、LTCMが没落していったのか。
理由は2つです。
- 想定外の動き
- 市場の模倣
1. 想定外の動き
1998年、ロシアの通過危機が起こりました。
相場では信用不安が起こり、安全な投資先として、米国債へ資産が流れました。
これは、LTCMにとっては想定外の事態でした。
LTCMの戦略の大原則は、相場の動きと逆行した取引
平均回帰を大前提として、想定外の事態への対応への備えはありませんでした。
このとき、LTCMは米国債は既に割高水準として予測しました。
また、投資不適格債券、いわゆるジャンク債についても、割安水準と予想しました。
過去のデータからは予測できない高いものがさらに値上がりし、安いものがさらに値下げする現象が起きてしまいました。
結果、1998年8月は悪夢となり、一日で5億ドル超を失う日もありました。
2. 市場の模倣
1997年の実績を背景に、市場から脚光を浴びていたLTCMには、その活躍を羨む同業者が同様の市場に参加し、その運用手法をものしようとあがきました。
その結果、常に独走を余儀なくされました。
しかし、投資の機会のなど、多くはありません。
過去の運用実績を維持するために、よりリスクの高く、流動性の低い分野への進出せざる得なくなりました。
1998年9月
自己資金5億ドル
銀行借入1000億ドル
1兆ドルを超える取引残高を残し、主要銀行から40億ドル近い救済を受け、ついに破綻
2000年初め、40億ドル近い救済への返済を済ませ、メリウェザーをLTCMを解散したのでした。
ドリームチームの破綻から学ぶ事
2つに絞りました。
・想定外の事態への常なる備え
・自らの成長や成功におごらず、常に挑戦を止めないこと。停滞は衰退。
後にメリウェザーは面白い言葉を残しました。
優れた予知能力のあるAさんが金儲けをします。ギャンブル、投資で連戦連勝します。ただ、荒稼ぎの日々に浮かれているとかつてほど稼げなくなります。相手の動きは手に取るように分かるのにもかかわらずです。その成功パターンが模倣され、群衆に紛れてしまうことでその収益力は陳腐化したのです。
鉄壁の相場理論や金融工学も人間の欲や習性には歯が立たないといった代表的なモデルでした。
目からウロコの実話でした。
実際、これだけ学んでいても、実際同様の状況になったとき、人としての真価が問われるのでしょう。
ポメでした。