本田宗一郎という人がいます。
今や時価総額7兆円を超える大企業。
HONDA;本田技研工業
を一から作った創設者です。
HONDAは今やバイクでは世界一のシェアを誇り、
車でも日本を代表する企業です。
戦後の日本を支えた経営者で著名な方は多くいらっしゃいます。
一番有名なのは現パナソニックの創業者である松下幸之助でしょうか。
それに次ぐ経営者と言われているのが本田宗一郎です。
この本は今の私たちにも大いに役に立ちます。
まずは生き方編です。
敬称は省略します。
「夢を力に」本田宗一郎 -生き方編-
「惚れて通えば千里も一理」
元々の意味は
恋人に会いに行くためなら、千里の遠い道のりも一里にしか感じない。
この恋人への想いを表す言葉を本田は自らの仕事に対して使います。
好きなことにとことん打ち込めば辛いことはない
小さな車の修理工場から
本田技研工業という今のHONDAを作った
知る人からおやじと慕われる男の原点はこの一言に尽きます。
何か必死に頑張っている事がある人には心に響くでしょう。
しかし、毎日淡々と過ごしてしまっている人は考え直すきっかけになるかもしれません。
性格の違った人とも付き合うべき
私はすごく分かりやすい当たり障りのない言葉を選んでしまいました。
本田は本著で以下のように厳しい言葉を使っています。
性格の違った人とお付き合いができないようでは社会人として値打ちが少ない人間ではないかということである。
これは本田の信念のひとつです。
なぜなら、自分と同じ人間は自分ひとりで十分だから。
実は本田には、生涯を通じて一番の信頼を置いた
藤澤武夫
というパートナーがいました。
冒頭で本田は著名な「経営者」という紹介をしました。
しかし、本田は自らのことを
技術者
と呼びます。
実質的に本田は製品開発を主な仕事とし、
セールス、マーケティング戦略は全て藤澤と得意分野で仕事を分担していました。
一つの目標を目指す想いは同じ。
しかし、違った考え方を持った二人がいたからこそ、成長を続けました。
学校に意味などない
実は本田の最終学歴は高卒なのです。
高校卒業後、本田は自動車修理工場で見習奉公をしていました。
後にウォークマンで世界を制したSONYの創設者である
井深大
との会談で以下のように述べています。
本田
「中略…オレの嫌いな学問も教えるから嫌いなんだ。自分の得意なモノだけを教えてくれるなら、学校は好きだ。なんでもできるってことは、なんでも知らんことに通じるんですよ。略… 本人の得意なものはなんにもやらせずにいたら企業なんて十日ももちゃしない。」
井深
「義務教育自体、既に必要ないのです。明治の初めに学校に来いって言ってもなかなか来なかったから無理に国民の義務にしたんだ。中略…」
この歴史的偉人2人は、義務教育で平均的な学力の向上よりも個人個人と得意なことを伸ばしていくことを推奨しています。
高学歴や家柄など、言い訳はたくさんあります。
しかし、彼らは自分で道を切り開いてきました。
今の若者へ
最後に、本田宗一郎は自らを若い若いと言いながらも、今の若い人たちにこのようなメッセージを送っています。
とくに若さとは困難に立ち向かう意欲、枠に捉われずに新しい価値を生む知恵
であると。
今回、ご紹介した本はこちらです。
やはり、戦後の高度経済成長期の日本を支えた経営者の発言は胸に響きます。
ふと、立ち止まった時にまた読み返したい本です。
今回は生き方編をお送り致しました。
次回は、その経営戦略をかいつまんでお伝えします。
お楽しみに。
ポメでした。
今回は本田のトレードマークである、赤色を主に使ってみました。笑